関ヶ原の戦い せきがはらのたたかい

(天下分け目の戦い)

ひとことで解説すると

1600年岐阜県関ヶ原で、石田三成らと徳川家康らが天下を争った戦いのこと。

大事なポイント

  • 徳川家康は、有力な大名により構成された豊臣五大老の筆頭者であり、石田三成は、豊臣家の実際の政務を取り仕切っていた豊臣五奉行の筆頭者である。
  • 豊臣秀吉の死後、実質実権を握っていた徳川家康に強い反感を抱いた石田三成は徳川討伐を宣言し、毛利輝元を総大将に関ヶ原の戦いへと発展していた。
  • 一進一退を繰り返し両軍ともひけをとらなかったが、毛利軍の内部分裂に加え、石田三成が嫌われていたことにより、小早川秀秋が徳川軍への寝返り、島津義弘の撤退があり、日本最大の合戦でありながら6時間ほどで決着。徳川家康の勝利となった。
  • 石田三成は処刑され、徳川家康は天下統一され、この戦いから3年後に江戸幕府が開かれた。
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