遣隋使 けんずいし

ひとことで解説すると

7世紀初頭、聖徳太子摂政のとき、日本から隋に派遣された公式の使節。

大事なポイント

  • 派遣は、600年に始まり614年まで6回に及ぶのだが、日本側の資料と隋側の資料が合わないものが多く回数には諸説ある。最低2回、最高で6回というのだけが確定した情報である。
  • 有名な聖徳太子の手紙「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや云々」は607年のものである。これを見た隋の2代目皇帝・煬帝は激おこ。こんなもん俺に見せるなー、と言った。
  • しかし、隋はその当時高句麗と戦闘中で、しかも全戦全敗。日本を責めて敵に回すわけにもいかず、無礼を指摘はしたが仕方なく日本の独立を認めた(日本に天皇がいることを認めた)。日本はこのとき、中国(隋)以外でアジアで最初の独立になったと言える。
  • 607年の遣使には小野妹子らが派遣され、このときは仏法を習得することを目的として沙門数十人も同行した。日本より遙かに進んだ律令制度や官僚機構など、その後の日本の国作りに大きな影響を与えた。
  • 隋の2代目は暗愚で、当時すでに国が傾いていた。そして618年には滅亡した。
  • しかし日本の中国熱は冷めやらず、唐の時代にますます加熱し、この事業は遣唐使に継承されていくことになる。

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