ウルフと呼ばれた男!昭和最後の大横綱千代の富士の壮絶人生

ただしが横綱千代の富士の凄さを学ぶようです 千代の富士や相撲,ウルフを交えながらわかりやすく解説

2016/09/16

駱駝家

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千代の富士 相撲 ウルフ スポーツ 九重親方 横綱 国内

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  • うぉーん、うぉーん。

  • 茶の間から獣の遠吠えがするし!何事だし?

あいうえおー
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  • 親に向かって獣とはなによ、このアホ息子!

  • 母ちゃんの泣き声だったんだし。狼かと思ったし。

  • 狼…うおおん!

  • なんでそんなに泣いてるのかし?

  • 九重親方…いいえ千代の富士が61歳の若さで亡くなったのよ。
    母ちゃん、大好きだったのに。

  • え?母ちゃんが相撲好きだなんて知らなかったし。

  • わかりますよ、お母さん。千代の富士は別格だったんですよね。

  • サトル!どこからわいたし。

  • わかってくれるのねサトル君!
    さすがうちのアホ息子とは違うわ。お茶でもいかが?

  • いただきましょう。ただし、お前は知らないだろうが千代の富士は現役時代『ウルフ』というあだ名で大人気だったんだ。

  • そのとおり。はいサトル君お茶。栗ようかん切ってきましょうか?

  • いただきましょう。良い機会だからただしにウルフの凄さを教えておきましょう。

  • 母ちゃん、僕もお茶と栗ようかん欲しいし!

  • 話が終わったら出したげるわよ。この無駄あんこ型め

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  • よくわからないけどひどいこと言われた気がするし!

  • あんこ型というのは太って腹が出ている力士のことだ。語源は魚のアンコウ。

    千代の富士はそれとは対照的な『そっぷ型』と言われる力士だった。こちらの語源はスープだ。

へー
  • なんかおいしそうだし。

  • そこからスープの出汁となる鶏ガラのように痩せた力士のことをそう呼ぶようになった。

  • 千代の富士ってそんなに痩せてたかし?

  • 入門した中学生の頃は身長177㎝、体重は68㎏だった。

  • 十分な体だし。

  • 力士の平均は身長183㎝、体重146㎏だからな。
    力士としては小兵の千代の富士は努力と漁の手伝いで培ってきた運動神経でそれをカバーしていたんだ。

  • 力士になる前は猟師だったのかし?

  • 父親が漁師だったんだ。千代の富士―本名秋貢は北海道出身で11歳の頃から小さな艀舟に乗って父を手伝っていた。

    揺れる船上で踏ん張って立ち、左右交互に櫂を漕ぐという作業は彼の足腰を自然と鍛え上げていった。

  • それは相撲以外でも通用しそうだし。

  • その通り。中学では陸上競技部で大活躍だった。

    特に強いバネを生かした走り高跳びは群を抜いていたそうだ。バスケットなどの球技でも花形だった。

  • スポーツ万能だし。

  • そんな貢だったが相撲には全く興味がなかった。

    しかし運命とは不思議なもので運動神経が良いからと駆り出された初参加の相撲大会で、偶然、九重部屋の関係者の目に止まるんだ。

そうだったのかー!
  • それは運命的だし!

  • だが、両親は大反対だった。
    本人も乗り気ではなかったんだが…。

  • また運命的な出来事があって角界入りを決心したんだし!

  • いや勧誘に来ていた九重親方に『飛行機に乗せてやる』と言われて東京行きを決心したそうだ。

  • 飛行機につられてるし!

歴史を感じる…
  • 田舎の少年には飛行機は憧れだったんだろうな。

  • それでトントンと横綱になったんだからすごいし。

  • ところが最初の新弟子検査の時からピンチだったんだ。新弟子の基準は身長170㎝体重は70㎏。

    体重の足りない貢少年は検査の朝におじやを6杯食べたあと水を限界まで飲むことでぎりぎり合格できた。

  • 僕のをわけてあげたいし。

  • 1970年に初土俵を踏み1971年に『千代の富士』の四股名を与えられた。九重親方の現役時代の四股名『千代の山』と当時の横綱『北の富士』から取った名前だ。

    『ウルフ』というあだ名をつけてくれたのはこの北の富士だった。千代の富士の鋭い目を見て『お前は今日から狼だ』と名付けたんだそうだ。

  • なるほど、狼がやがてウルフになっていったんだし。

  • 1974年には十両昇進、色々あったがここまではまあ順調だったと言える。

  • む?なんか不穏な気配がするし。

  • 1975年、取り組み中に左肩が脱臼してしまう。この時から彼はずっとこの脱臼に悩まされることになる。

  • 脱臼て癖になりやすいし。大変だし。

  • 千代の富士の相撲は体の大きな相手を豪快な投げ技で倒すというものだった。
    思うように相撲が取れない悔しさにこの時期は酒と煙草の量が増えていったそうだ。

  • それも祟ってせっかく幕内に上がっても左肩を脱臼しては負けるということを繰り返した。

  • 悪循環だし。

  • 1979年、左肩をかばって酷使していたせいか、右肩までも脱臼してしまった。

    さすがの千代の富士も『相撲をやめよう』と項垂れたそうだ。

  • うう、つらいし。

  • この時、九重部屋はウルフの名付け親である元北の富士が継いでいた。
    親方は親友である四日市中央病院の藤井院長に千代の富士の診断を託した。

  • その結果、脱臼の驚くべき原因が明らかになったんだ!

    肩関節は腕の骨と肩の臼とそれを包む靭帯で構成されている。千代の富士の肩の臼は普通の人間の3分の2の大きさしかなかった。

  • それじゃ外れやすいのも無理ないし。

  • そこで、院長の指導のもと筋肉を強化する鍛錬を始めた。
    骨を筋肉で固めてしまうことにしたんだな。

  • 太りにくいウルフには難しそうだし。

  • 確かにつらい鍛錬だったらしい。しかし彼は持ち前の狼のような闘志を発揮してやり遂げたんだ。
    そしてその年の名古屋場所に途中から復帰し見事に勝ち越した!

  • さすがウルフだし!

  • その後も1日も休まず鍛錬を続けた。また憧れの大関貴ノ花からの『煙草をやめれば肉がつく』という助言に従い禁煙もした。

    その結果体重は念願の100㎏を越え、両肩は盛り上がった筋肉にしっかりと固め上げられた。

  • 努力が実ったし。

  • 千代の富士の相撲は無理な投げ技から全身の筋肉で一気に攻めこむという形に変わり勝ち続けた
    やがて数度の技能賞を獲得した後、1981年初場所において初優勝を飾り大関の座を獲得出来たんだ。

  • 更に7月の名古屋場所での優勝の後、ついに第58代目横綱へと昇進し、空前の『ウルフ人気』が相撲界を沸かせた。

    豪快な相撲と精悍なルックスが従来の相撲ファンだけじゃなく女性にも愛された。お母さんがウルフにはまっていたのもこの時期だな。

  • そうよ。技館で生で見た時はうっとりしたわ~。

  • 母ちゃん、いつのまに戻ってきてたし!

  • さっきからいたわよ。サトル君、お茶のおかわりいかが?

  • いただきましょう。ウルフの魅力は土俵外にもありましたよね。

  • 母ちゃん、僕の分はどうなってるし!

  • そう、彼は強いだけでなくて情が深かったのよ。
    家族を大事にしていたし、弟弟子達の面倒もよく見ていたの。

  • 弟弟子の第61代横綱北勝海は『横綱になれたのは千代の富士との猛稽古のおかげ』と言っている。

    なかなか大関昇進が出来ず気落ちする北勝海を怒りは稽古にぶつけろ』と励まして胸を貸してやったんだ。

  • 引退の時も潔かったわよね。

  • そうですね。横綱昇進後、怪我や娘の死などの苦難を乗り越えて1989年には通算勝ち星が1000勝を越え、更には角界では初の国民栄誉賞を受賞した。

    だが1991年、憧れの貴ノ花の息子、弱冠18歳の貴花田に敗れた後に引退を決意したんですよね。

  • 勝負の世界の不思議な縁よねえ。

  • 引退後は九重親方を継ぎ、弟子の中からは大関の千代大海という名力士も育ちました。

  • 怖いもの知らずの不良だった千代大海は九重親方に会って初めて他人に気迫負けしたそうよ。
    引退しても『ウルフ』は健在だったのね。

  • 九重部屋は彼が継ぐそうです。頑張ってほしいですね。

  • しんみりしちゃったわ。ウルフが好きだったコーヒーでも飲もうかしら。
    サトル君も一緒にどう?

  • いただきましょう。

  • だから母ちゃん、僕の分は!?

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