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新日本プロレスに興味を持ったただし。 サトルの解説で、新日本の歴史を遡る。 現在から、第三世代、三銃士、長州・藤波・前田、と名シーンを遡る。 話題は最後に、創始者の猪木に及ぶ。
第5話
ただしが新日本プロレスを知るようです 第5話
元気があればなんでもできるし? 新日本プロレスやアントニオ猪木,ハルク・ホーガンを交えながらわかりやすく解説
2016/02/14
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新日本プロレス アントニオ猪木 ハルク・ホーガン スポーツ スタン・ハンセン タイガー・ジェット・シン モハメド・アリ 橋本真也 蝶野正洋 プロレス IWGP
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わっ、なんだし。
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元気があればなんでもできる。
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…
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元気があれば、新日本プロレスの歴史を振り返ることもできるというわけで。ムッフッフ。
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なにをなり切ってるんだし。 早くしろし。
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バカヤロー!! バチーン!
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イテッ! 何するんだし!
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振り返る前から焦るやつがいるかよっ!
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いきなりビンタするなし!!
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いやー、すまんすまん。 今のは、猪木の伝説の1シーン。
引退をも近づいてきた新春興行で、坂口征二とのタッグで蝶野・橋本のタッグを迎え撃つときの、試合前のインタビューの再現だ。 ここは、橋本の名言もあるからなかなかおもしろい。 ちょっと見てみよう。
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最初からそうすればいいし…
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東京ドーム控室
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ここは新春シリーズの控室だ。
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今日は若いものに胸を貸すというわけにはいかないと。どういうわけなんでしょうか。
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……。
※猪木さんです
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まぁ、ご覧の通りです、見てください。 何も言いません。
※坂口さんです
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猪木、何も答えないし。 話ふられた坂口も何言ってるかよくわからないし。
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殺気立ってるんだよ。 それでも、何か時間とらないといけないからアナウンサーも必死だ。
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油断…ということはありませんか。若い二人相手に。
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いや、我々も燃え尽きるまでやります。 その覚悟で。
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アナウンサーしつこいし。 何も言わないって言ってるし。
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もし負けるということになると、 時の運という言葉では済まないということになりますが。
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出る前に負けること考える馬鹿いるかよっ!
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!?
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出てけ、こらぁ!!
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……。
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おもいっきりひっぱたかれたし!
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うむ、猪木は常に勝負は本気だ。 闘魂ビンタが最初に生まれたのも、予備校のイベントで呼ばれた猪木が、余興で予備校生が腹パンチしたのに反射的にビンタしたのがきっかけになってる。
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近づきたくないし!
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ついでに、この日の蝶野・橋本の控室も見てみよう。
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なんだか怖いし…
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いよいよ、黄金タッグとのメインイベントを直前に控えた二人ですが、蝶野選手、どう戦いますか!
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潰すよ今日はオラ。 よくみとけオラ!
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蝶野はこの頃からすでに迫力満点だし……
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時はきた、それだけだ。
※橋本さんです
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プッ… ふ〜…
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あっ、蝶野が吹き出したし!
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こういうちょっとズレたところが橋本の魅力というわけだ。
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猪木はガチンコでちょっと怖いし!
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でも猪木の歴史こそがまさに新日本プロレスの歴史だ。 引退のシーンは知ってるな。
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見たことあるし!
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新日本プロレスの前は日本プロレスというのがあったのかし。
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そうだ。 力道山から、「オイ、裸になれ」という一言でスカウトされた猪木。 馬場と同日、1960年に大木金太郎を相手にデビュー。 翌々年、リングネームをアントニオ猪木と改名。
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どこから持ってきたんだし… ピッタリすぎるし…
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諸説あるが、ブラジル帰りを印象付けたかった力道山の意向は大きいだろうな。 そして血の滲むようなハードトレーニングを課された猪木。 自宅すら与えられた馬場とは全く違う扱いだったようだ。
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なんでそんな差別するのかし!
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力道山も北朝鮮からの移民、ブラジル移民である猪木に対して深い愛憎があったのだろう。 走行中の車から突き落とされたり、クルーザーの真ん中から降りろ、と言われて一時間半泳いで帰ったり。灰皿が割れるほど殴られたり、ゴルフクラブで殴られたり。 想像を絶するしごきを受けたようだ。
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……ひどいなんてもんじゃないし…
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それで猪木は、弱いものいじめだけはすまいと誓ったようだ。
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そこは立派だし…
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1963年、力道山を亡くした猪木は、翌年にはアメリカ遠征へ出発。 1966年に日本に戻ると、日本プロレスは混乱していた。
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カリスマ力道山を失ったらしょうがないし。
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1966年、豊登に「日本プロレスに帰っても一生馬場の上には行けん」と口説かれて、東京プロレスを立ち上げるも不振に終わり、三ヶ月で破綻した東京プロレスから、日本プロレスに戻ることになる。
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猪木、三ヶ月で起業に失敗してたのかし!
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日本プロレスに戻ってからは、BI砲と呼ばれる馬場とのタッグで、一世を風靡した。 1971年には、猪木いわく豊登らのダラ幹と呼ばれる幹部による経理が不明瞭であることから確執が深まり、猪木は日本プロレスを追放される。
翌年、猪木は新日本プロレス、馬場は全日本プロレスを立ち上げる。 国際プロレスのストロング小林、日本プロレス時代の先輩である大木金太郎。 ビル・ロビンソン、タイガージェットシン、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガンらスターレスラーとの死闘で、プロレス黄金時代を築く。
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ずいぶんゴタゴタあったんだし…。 猪木大変だったし…
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そうだな。 事件としては、伊勢丹前で妻の倍賞美津子と歩いていたところをタイガー・ジェット・シンに襲われたということもあった。
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プロレスとか関係なく大事件だし!
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この時期はプロレスがもう社会現象になってるから、社会的事件もいろいろ勃発してる。
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この時代のプロレスは面白そうだし!!
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ゴールデンタイムで、猪木、タイガー・ジェット・シン、長州力、タイガーマスクらが入り乱れてた黄金時代だな。 プロレスラーとしてスターダムになった猪木は、プロレスこそ最強の格闘技であるという、ストロングスタイルを標榜する。
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聞いたことあるし! いまだに新日本はストロングスタイルだし!
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ストロングスタイルというキーワードに翻弄され続けるとも言えるな。 この時代の猪木は、パキスタンの英雄アクラム・ペールワンと異種格闘技戦を行い、ペールワンの腕を折ってしまった。
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そんなことして大丈夫なのかし!!
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暴動寸前になったが、今ではその武勇が認められ、パキスタンではイノキ記念日があるくらいだ。
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スケールがでかいし。
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熊殺しウイリー・ウイリアムスなどにも勝利したが、やはり決定的なのはモハメド・アリ戦だろう。
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知ってるし! アリキックだし!!
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スーパースター同士の戦いで、どちらも負けられないから土壇場までルール調整でもめていた。 だから、結果的にあのような世紀の凡戦と言われる試合になってしまったんだな。
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猪木がずっと寝てるだけだったし!
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それでもアリの足に致命的なダメージを与えて、後々評価されている。 ここで、友情が芽生えたアリから送られたアリ・ボンバイエのテーマが、イノキ・ボンバイエ。 炎のファイターというお馴染みのテーマ曲になったんだ。
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あの入場テーマはアリからもらったのかし!! 知らなかったし!!
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1983年には、世界統一タイトルを目指してIWGPというタイトルを立ち上げる。
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いまだにIWGPは続いてるし!
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そうだな。これが始まりだ。 初戦は、ハルク・ホーガンのアックスボンバーで猪木が舌出し失神。 いまだに語り草になっている。
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猪木は語るところがいっぱいだし…。
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その後、長州との世代交代闘争を経て、一線を退き、いままで振り返ったような世代の時代になっていくわけだが… 新日本プロレスをいうプロレスの大きな部分を作ったのは、間違いなくこの猪木という男。
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ちょっとこれだけでは物足りないくらいだし…。
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まぁ、猪木について語り始めたらキリがないからこのくらいにしておこう。 新日本プロレスについて少しはわかったかな?
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なんかいろいろありすぎてもう混乱状態だし…
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うーん。 じゃあ、次はクールダウンに新日本の珍事件、珍レスラーをいくつか振り返ってみようか。
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そういうのも面白そうだし! 珍プレー好プレーの珍プレーのほうだし!
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つづく、次回最終回!